高田交歓2006年07月03日

今夜の「鶴瓶の家族に乾杯」は先週に続き、春風亭昇太が行く新潟県上越市高田.

昭和29年から始められた清水で言うところの「高田交歓」は旧高田市では「清水交歓」って呼んでたんですね.

清水と高田がどういういきさつで中学生の交歓を始めたのか知らないけど、今あらためて思うと、とっても素敵なイベントだったと思います.

山がミカンで色づく秋に高田から清水へ、豪雪にもめげない高田へ清水から各中学の代表がホームステイで交歓会が行われました.

高田は合併して上越市になっても清水とは「上越交歓」として続けられました.
でも、清水市は静岡市に合併されてから、たぶん一方的だと思うけど、「上越交歓」を中止してしまいました.とても寂しいことです.

番組では小野アナウンサーから、一部有志で続けられていると言われたけど、中学校単位で続けられているのでしょうか.

あらためて、上越市高田と静岡市清水区で、再び全国的にも珍しい中学生交歓を続けて欲しいです.

コメント

_ yimamura ― 2006年07月07日 02:09

せっかくのいい記事に、くだらないコメントがついて台無しですね(萎)

それはさておき、

> あらためて、上越市高田と静岡市清水区で、再び全国的にも珍しい中学生交歓を続けて欲しいです.

僕は詳細は知らないのですが、同感です。
「合併が正義」みたいなムードに踊らされて、合併したのはいいけれど、その影で、伝統的な地名など、いいものが多数失われている気がしてなりません。

_ イケ ― 2006年07月07日 18:37

平成の大合併騒ぎも収まってきたのでしょうか.
合併の恩恵って、市民にはほとんどなかったんじゃないかな.
なんたって、静岡市駿河区から静岡市清水区に電話するのに市外局番回さなきゃならないんだから^^;

テレビの全国版で春風亭昇太があれだけ「清水!、清水!」って叫んだのも、合併前の清水に愛着があったからなんでしょうね.

_ とし ― 2017年10月05日 20:15

清水・上越交歓は、ある新聞記者の方が赴任地の清水から次の赴任地の新潟県高田町に異動となった際に、同じ季節(冬)なのにあまりの違いに驚いたことから始まったと聞いています。

私も、昭和48年の清水上越交歓生の一人です。無くなってしまったとは今知りました。残念なことです。

_ イケ ― 2017年10月15日 10:43

としさん、情報ありがとうございます.
一新聞記者のアイデアで始まったんですね.

今のご時世ではこのような企画はできないでしょうね.

_ T.まつもと ― 2019年03月05日 19:20

昭和44年私も高田交換生でした。夜行列車。雪深い高田の町。がんぎの下の通り道。初めての体験でした。♪雪の深いおまんが町とみかん黄金のおらが山♪の合唱もそれこそ春風亭昇太さん属すブラスバンドの演奏が誇らしくメロディも覚えています。ホームスティ先ではお互いのクラスと友達も集まり賑やかな晩を過ごします。その後個人的にも交流が続き相手クラスの友達数名に清水に来てもらい女子生徒には姉の浴衣を着てもらって一緒に港まつりに行きました。当時では珍しい制度だったと思います。見知らぬ遠い町の一般家庭で過ごす2泊3日は中学生にとって貴重な体験です。昭和の時代の心温まる交流を昔話にせず何とか復活してもらいたいと思います。忘れてはいけない大切なものを心に残すことになります。あまりに懐かしく投稿致しました。

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